はじめに
最初は、期待していました。
「夏になったらプール行こう」
「冬はスキーに行こうね」
夫が言うたびに、子どもたちは目を輝かせ、楽しみにしていました。
でも、その“約束”が実現することは、ほぼありませんでした。
いつしか、私も子どもたちも、期待しないようになりました。
これは、計画を立てるのが苦手なアスペルガー夫と暮らす私たち家族の、小さなあきらめと、それでも前を向く日々の話です。
夫の「行こう!」は、もはやフラグ
「夏はプールに行こう!」「冬はスキーもいいな!」
そんな風に言われたら、普通は「そのうち予定を立ててくれるのかな?」って思いますよね。
うちの夫も、よくそういうことを言います。
むしろ、言うのは早いんです。
夏が始まる前から「今年はプールたくさん行こうな!」と気合を入れたり、冬の寒さが来る前に「雪山に連れて行きたいから今年はスキーへ行こう!」と張り切ったり。
でも、それだけ。
そこから先には、何も起きません。
◆ 予定を立てる気配はゼロ。だんだん家族が静かになる
例えば、夫が「プール行こう!」と宣言した日。
子どもたちは「いつ?来週?今度の土日?」と目を輝かせます。
私は心の中で「よし、今回は実現させられるかも」と一瞬期待します。
でも、夫からはその後、具体的な提案は一切ありません。
私が「いつにする?」と聞いても「うーん、天気見てからでもいいかもね」
→ で、そのまま話は自然消滅
あるいは、日程をこちらから提案しても「ちょっとその週は忙しいかも」とか「もう少し涼しくなってから」など、のらりくらりかわされて終わりです。
そのうち子どもたちも何も聞かなくなり、私も「はいはい、またいつものやつね」と受け流すようになってしまいました。
“行こう”は、行かないフラグ
我が家では、ほぼ公式ルールです。
◆ 「行こう」と言ってる本人が一番行く気がない(ように見える)
さらに困るのは、夫自身がその言葉を軽く使っていること。
たぶんそのときは本当に「行きたい」「連れて行きたい」と思っている。
でもその気持ちは、計画や実行にはつながらない。
頭の中で“行った気”になって満足してしまってるような感じなのです。
言葉はあるのに行動がない。
そのギャップに、こちらだけが疲れていく…。
◆ じゃあ、こっちが全部やればいいのか?
何度も「じゃあ私が全部計画するよ」と思って動いたこともあります。
でも、夫の発言を実現させるために、私が情報を調べて、空いてる日を見つけて、予約をして、準備して…
気がつくと、夫はただ言っただけで、あとは私が全部やってる状態に。
それならいっそ、最初から私主導で「この日にここ行こう」と決めた方が早い。
しかし、私主導で決めるのもいちいち夫にお伺いを立てないと決めれない。っと言うハードルも待っています。全て、こちらで決めてしまうと自分の意に沿わなければ怒り始めるからです。
◆ 子どもも悟るように
「行こう」と言ってくれるのは、別に悪いことではありません。
でも、その気持ちが行動に繋がらなければ、家族にとってはむしろストレスや落胆のもとになってしまう。
最初のころは、「お父さん、いつプール行くの?」と何度も聞いていた子どもたち。
でも、年を重ねるごとに、その質問も減りました。
今では「お父さんが“行こう”って言ったら行かないってことだよね」と、
期待するだけ疲れる、ということを子どもなりに学んでしまった。
いずれにせよ、期待せず、現実ベースで楽しむスキルが家族全体に身についてしまいました。
“言っただけ”で終わらせないでほしい。
なぜか計画は立てない。でも“言う”だけは言う
プール、スキー、旅行…
夫の中では「家族を楽しませたい」という気持ちがあるのだと思います。
でも、それを**現実にするための“計画”**が、完全に抜け落ちている。
日付を決める、チケットを取る、予約する。
そういった段取りを自分から進めることはほとんどありません。
こちらから「じゃあ〇日にする?」と提案しても、
「うーん…ちょっとその日は…」「もうちょっと涼しくなってから」と先延ばし。
そして気がつけば、プールは閉館。
スキー場は雪解け。
宿泊施設は満室。
早割?そんなものは一度も使えた試しがありません。
不思議な“行動力”の使いどころ
面白いのは、こちらが子どもと3人で出かけようとするとき。
「じゃあと3人でお出かけしてくるね〜」と声をかけると、
急に夫が「俺も行く!」とバタバタし始めます。
え?
今までスマホ触ってボーッとしてたよね?
どこ行くか知らないよね?
服まだパジャマだよね?
こういうときの行動力、旅行予約の時に出してくれたら本当に助かるんだけどな…。
計画性がないことは“悪意”ではない。でも…
アスペルガーの特性として、「段取りを組む」「予定を立てる」といったことが苦手な人もいます。
夫も、きっと悪気があってやっているわけではない。
むしろ、「家族と楽しい時間を過ごしたい」という思いは、言葉から感じる。
でもそれを形にする力が極端に弱いんです。
だからこそ、私も何度もサポートしてきました。
でも、こちらが動かないと実現しない、という状況が続くと、やっぱり疲れる。
「なんで言い出したのに放置なの?」と思わずにいられない日もあります。
期待しないことで、心が軽くなった
ある日、ふと気づいたんです。私がこんなにイライラしたり、悲しくなったりするのは、夫に期待していたからだ、と。
“言ったことは実行してくれるはず”
“家族のために動いてくれるはず”
そう思っている限り、裏切られたような気持ちになってしまいます。でもそれは、相手の悪意ではなくて“できない”っと言う特性や限界だったんだと受け入れることができて、私はやっと肩の力を抜くことができました。
「もう期待しない」と決めたことは、夫に対して冷たい感情ではないです。
期待することで疲れ切ってしまうよりも、期待せずに淡々と受け止めた方が、ずっと穏やかでいられます。
最近では、家族全体が「夫の“行こう”はあてにならない」という共通認識になっています。
そのぶん、子どもたちが落ち込むことも減りました。子どもたちもまた、自分の心を守る方法を見つけているんだと思います。
「どうせ実現しない」と最初からわかっていれば、ガッカリしません。
そして、私と子どもだけで計画して出かけることも増えました。
まとめ
口にするのは簡単です。
でも、行動に移すことでしか、思い出は生まれません。
「行こう!」って言ってくれるのは嬉しい。
でも、それを形にしてくれたら、もっと嬉しい。
できないことを責めたいわけじゃないのです。
ただ、家族との時間を「言葉だけ」で終わらせないでほしいんです。
しかし、私たち家族は“期待しない”っと言う技を身につけました。期待しすぎないことは、自分と家族を守る優しさの形なのだと思っています。
家族の形も優しさの形も人それぞれです。自分に合った、家族が平和でいられる形、優しさの形を見つけてほしいです。
本日も読んでいただき、ありがとうございました。
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