はじめに
「夫が悪気はないのは分かっている。でも、なんでこうも噛み合わないんだろう?」
そんなふうに、モヤモヤとため息をついたことのある方、きっと私だけじゃないと思います。
うちの夫にはアスペルガーの傾向があります。こだわりが強く、物事を柔軟に捉えるのがちょっと苦手。何かをお願いすれば「やるよ」と返事はするものの、その「やるよ」は“今やるよ”ではなく、“気が向いたらやるよ”という意味だったりして、日常生活ではすれ違いが絶えません。
とくに難しいのが「育児」
子どもが泣いているとき、「お母さんがいいって言ってるよ〜」とサラッとバトンタッチしてくる夫。
何気ないその一言に、私は何度も「そうじゃない!」と叫びたくなりました。
でも、夫には夫なりの見え方や感じ方がある。だから一方的に責めることもできない。そんな曖昧なもどかしさの中で、日々子育てをしています。
そんな我が家のリアルな日常を、少しユーモアを交えながら綴っていこうと思います。
「わかる、それうちも…!」と共感してもらえたり、
「私だけじゃなかった」と、少しでも心が軽くなってもらえたら嬉しいです。
アスペルガー夫✖️子育て
■ 「子どもが母親を選んだ」という言い訳の裏にあるもの
娘がぐずって「ママがいい〜!!」と叫ぶと、夫はこう言います。
「お母さんがいいって。お願い〜」
いや、今私、お皿洗ってるけど!?
「お父さんでも大丈夫だよ」って言うだけで、子どもも少しは安心できるかもしれないのに‥
まるで「お客様センターにおつなぎしますね〜」みたいに丸投げしてくる。
母親である私も最初から、子供に対しての対応が100%ではなかったです。失敗や試行錯誤しながら、子供たちから“お母さんがいい“と言う信頼を得ることができたのだと思っています。
「お母さんがいいって!お願い!」っと言うことは、逃げていることだと思います。父親として、子供との信頼関係を築いていくことから逃げていると思います。
確かに、子どもがそう言うのは本当です。
でもそのとき、子どもが試してるのは、
- 本当にお母さんしか頼れないのか?
- お父さんはどう関わってくるのか?
っていう、“人間関係の根っこ”の部分なんです。
子どもは、泣きながら「選んで」いるようでいて、
実は「差し出された安心感」によって「安心できる方」を選んでいる。
だから、ここで父親が「俺でも大丈夫だよ」って包み込んでくれたら、
子どもだってきっと「お父さんも頼っていいんだ」って思えるはず。
それを「お母さんがいいからお願い」って毎回スルーしてたら、
それでは、子どもは“この人には頼れない”っと学習しちゃいます。
■ 問題解決しか見ていない夫
夫の対応って、いわば“今この瞬間を静かにするためだけの処理”なんです。
- 泣き止めばOK
- 収まればOK
- 自分の時間が確保できればOKか
でも子育てって、“瞬間”ではなく“積み重ね”だと私は思います。
その小さな積み重ねの先に、信頼ができて、関係性が育つ。
それをやらずに毎回「お母さんがいいって言ってるし…」で済ませてたら、
そのうち子どもは本当に“父親に何も求めなくなる”と思います。
子どもは見ているのです。ちゃんと全部見てます。
- 泣いたとき、誰が迎えに来てくれたか
- 甘えたとき、誰がちゃんと受け止めてくれたか
- 拒否されたとき、どんな言葉で返されたか
子どもはそれを「経験値」にして、この人は大丈夫、この人は無理、と判断していく。
だから、ただ「その場をやりすごす」対応は、親としての“地盤”を掘り崩しているようなものだと思います。
■ 私は“母親”である前に、“人間”です
もちろん、ずっと笑顔で「はいはい、ママがやるよ〜♡」なんて無理です。
こちらも食器洗っていたり、洗濯物たたんでいたり、トイレも行きたいし、座りたい。
やることが沢山あります。
だからこそ、夫には「任せて」って一回くらい言ってみてほしいのです。
信頼は、誰かに与えてもらうものでも、譲ってもらうものではないです。自分から取りに行くものだと思います。
子どもに「お母さんがいい」と泣かれたとき、
お父さんができることは“引き下がる”ことではなく、“踏み出す”ことです。
それは面倒くさいし、普段子どもと接する時間が短い夫にはなかなかうまくいかないかもしれないです。でも、関係ってそうやってしか築けないものじゃないでしょうか。
もし同じように、
- 「なんで私ばっかり?」
- 「父親って何なの?」
と感じている方がいたら、どうか思ってください。
あなたの感じてる違和感は、正しいです。
私が“親”で、夫は“サポートスタッフ”
■ 頼まれたらやる夫=ワンオペ育児
「頼まれればやる」というけど、頼めるタイミングを見つけるのも、頼んだ後に“やる気スイッチ”を入れてあげるのも、もはや私の仕事。
家事も育児も、一緒にやってるようで、実質ワンオペ。
私ばっかり“本体”で、夫は“追加アイテム”みたいな存在感です。
子どもが泣いたら、まず私。
お腹が空いたら、まず私。
幼稚園や学校の行事の把握・持参物の確認、予防接種、着替え、トイレトレーニング、寝かしつけ、朝の準備……とにかく「基本的に親業」は、私がフルタイムで担当している感覚がある。
一方の夫はどうかというと、
お願いすれば、やってくれる。
でもそれは、あくまでも「頼まれたら動く人」
育児における“初期設定”が違うというか、
私は「子育て=自分の仕事」として動いているのに対し、
夫は「子育て=サポートできるときにするもの」くらいの位置づけのように見える。
…これ、私だけでしょうか?
「やってくれないなら、ちゃんとお願いすればいいじゃん」と言われたこともあります。
でも、毎回毎回、“家事タスクのメニュー”を用意して、タイミングを見て、声をかけて、相手の気分をうかがってお願いするって‥
それ、もう育児+人事管理+交渉業務なんですよ。
なんで“お願い”しないと動かないの?
なんで“察する”という脳回路がないの?
そしてなぜ「やってくれた感」を全力で出してくるの?
…私は、自動ドアのように毎回黙って開いてくれる夫が欲しかったわけじゃない。
ただ、“親としての自覚”を一緒に持ちたかっただけなのです。
■ サポートスタッフのように育児する夫を、子どもはどう見てる?
子どもは、本当によく見ている。
「この人は本気で向き合ってくれてるのか?」
「困ったときに頼れるのか?」
その“信頼感”って、日々の関わりの中でしか育たない。
だから、夫が気が向いたときだけ子どもに関わっても、その関係性って、なかなか深まらない。
そういう意味で、サポートスタッフ的に育児するというのは、自分で自分の「親としての立場」を薄くしていく行為だと思うんです。
私は、子どものスケジュール、体調、成長段階、気分の波、明日の天気まで頭に入ってる。
これは「たまたま母親だから」じゃなくて、「親としての覚悟があるから」
でも夫は、日々の仕事の忙しさを理由に子どもの状態を把握していない。
一緒に暮らしてるのに、“責任の重さ”が違いすぎるのです。
私は人生かけて育児してるのに、あなたは週末のアルバイトですか?と聞きたくなることもあります。
■ 責めたいわけじゃない
夫の言動を責めたくなることも多いけど、実は私は、「変わってほしい」と願っているだけなのです。
「お父さんは一緒に育ててる」という感覚を、持ってほしい。
一緒に子どものことで悩み、喜び、成長を見守りたいのです。
私が崩れたら全てが止まるようなこのバランス、それは“チーム”とは言えないから。
家族とは一つのチームのようなものだと私は思っています。
まとめ 〜「私だけじゃない」と思ってほしい
もし今、あなたが同じような境遇で悩んでいるのであれば、
それはあなたが「本気で親をやってる」証拠です!
子育ては、どちらかが“主”、もう一方が“補助”でいいものじゃない。
親は、二人で一つのチーム。「やってくれた」じゃなくて、「一緒に育ててる」。
そんな感覚を持てるようなパートナーシップが、きっと理想なんじゃないかと思うのです。もし、ここまで読んで「うちと全く同じ!」と思った方がいたら、私はあなたに心からこう言いたいです。
あなたは一人じゃありません!
協力しないわけじゃないけど、自分から動かない夫に、いちいち説明しないと伝わらない育児に、もうヘトヘトですよね。それでもあなたは、ちゃんとやってる。子どもはちゃんと見てるし、
同じような境遇の母が、ここにいます。完璧じゃなくていいんです。
でも、笑えるようになれたら、きっと少し楽になる。
このブログが、誰かの「私だけじゃないんだ」に繋がったら嬉しいです。
本日も読んでいただき、ありがとうござました。
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